自覚と回帰
求められると形成されていく

立場が人を変えていく。これは、実はありません。これが言われるのは、社会の中でだと思われますが、立場が人を変えるには、あるモノが必要で、それは社会の中では存在しえないものでありますので、社会の中において、立場が人を変えることはありません。そう見えるのは、立場に対する概念により、周りの人が、その立場の人を、認めざるを得ないからです。しかし、あるモノが存在する家庭・家族においては、立場が人を変えていくということが成立します。そのあるモノとは、本能的繋がりです。社会の繋がりは利益や楽しみなどで、その繋がりを理論的に説明できます。しかし、本能的繋がりは、言葉では説明できないし、自分でも認識できないものです。これは、家族間において、無条件の信頼を生み出しています。この関係の中においては、お父さんが出来るからお父さんになるのではないですね。長女が出来るから長女になれるわけでもないですね。家族の中の自分の置かれる立場は、社会的地位のような能力主義ではありません。全てが自然なのです。自然な流れの中で、立場が固まっていく、つまり、立場が人を形成していくのです。ですが、稀に自然な流れの中で、立場を代わりに担うということが生じます。これは、本来、立場を担う人が不在であるとか、立場を担う人がいるけど、現状での自然な求めに応じた結果、代理でその立場を担うようになるということがあります。しかし、代理ですので、来るべき時が来たら、その立場を元に戻さなければなりません。

代理には限界が来る

代理で立場を担っていると、家族間のエネルギーの流れが、通常ではない為、家族は大丈夫ですが、本人には、気持ちの行き場が徐々になくなっていき、その行き場を外部に求めます。そういう時の外部との繋がりは、本来、家族の中の無条件の信頼を外部に求めることになるので、相当な代償を支払うことになります。代理で立場を担っていると、このような流れは、必ず起きてきます。そこが代理の立場の限界点です。そこに気付いたら、自分でその立場から降りないといけません。そして、本来、その立場を担うべき家族に、バトンタッチを促していかなければなりません。

警告は自分が何にも気付けていないこと

本来、ある立場を担うべきなのに、そうしていない時、気付いたら大変な事態になっていたということが生じます。大変な事態に陥っているのは、自分の代わりに立場を担ってくれていた家族です。立場を担うということは、ある種、家族の中で中心的であるということです。そこからは、全てが見えています。しかし、本来、担うべき人は、全体を見れていません。そこに、代理の人を苦しめるという悪循環が生じます。代理の方は、本来、立場を担うべき人が、それを出来ないと理解しているので、言い出せず、苦しみをひとり抱え込むことになります。本来、担うべき人は、守られているので、何にも気付かず、平穏に過ごしています。後手後手に、何かを知るとき、それは、あなたが本来、担うべき立場に戻らなければならない時です。

自分が居座り続けないのが優しさ

代理で立場を担っていた方が、犯す間違いは、自分に限界が来ているのを分かりながらもその立場から降りないことです。これは、本来その立場を担う人への配慮からですが、自然な流れからいうと、代理の方が限界を迎えた時点で、本来その立場を担うべき方がその立場を担える準備が整ったということになります。準備が整わないのに、その立場が移行されるということは起きないのです。代理の方が、その立場に居座り続けるのは、本来その立場を担う人から機会を奪うことになります。本当の優しさは、例え、難しいだろうと思われても、機会を与えてあげることです。また、そうしないと、代理の方が、外部に間違った繋がりを求め、やがて家族全体の崩壊に繋がります。

正常化される家族間のエネルギー

本来、立場を担う人が気付き、自分の役割を果たし始めると、代理で立場を担っていた方の負担はとれていきます。代理の方は、外部、社会の中で間違った繋がりを求めていたものが、求めなくなり、家族の正常なエネルギーの流れの中に落ち着きます。家族間の立場が正常化されると、歯車があわなかったことが、合うようになり、物事が進展していきます。これは、立場を担うべき人が、自分のことよりも家族に対して意識が向くようになった時です。家族とは、それぞれの立場で他の家族のことを優先出来るとき、とてつもない大きな幸せがやってきます。

この記事を書いた人

堺市北区の中百舌鳥にて占い師をしています。

このブログでは、運命改善に役立つ考え方を書いています。日常どのように考え過ごすと良いかという疑問に答えたく、みなさんが少しでも不安を取り除き、また、自分を見直すヒントとなりますようにスピリチュアルという不可思議な世界観を嚙み砕き、わかりやすく説明しています。占いは、当てものではございません。みなさんが自分で答えを見つけていく、そのヒントをお伝えするものです。このブログから、みなさんが開運するきっかけを見つけられることを願います。