錯覚

  • 良いように解釈する 
  • 考え違い 
  • 非現実の記憶化 
  • 情報の埋没 
  • 心理の反映
良いように解釈する

何か気になったことをプラスのこととして考えるというのは、何か改めるという気持ちが伴われている場合は非常に良いことです。マイナスの出来事が身に降りかかると、どうしても自分の内にある仮定の内容と結びつけてしまい、あの時こうしておけば…、もっとうまく対応出来たよなあ…などと気分が沈んでしまいます。マイナスに傾くのは反省という自分を改める気持ちを引き出す為に流れ上、必要ではあるのですが、それは最終的に悪いことが起きたのは自分に気付きを与えるきっかけだったと気持ちを切り替える方向にもっていく為です。注意しないと仮定の世界で出口がないのに彷徨うことになります。また、良いように解釈するということが独善的なことになると、都合の良いように解釈するという恐ろしい状態になります。この時、自分を改めるという気持ちは皆無で、全てを自分の既成概念の範疇に無理矢理入れて、物事を都合良く考えます。これは、周りから総スカンを食らう錯覚です。

考え違い

絶対にこうだ!という考え方は、何かのリーダーシップをとる時などに必要なものです。ただ、その絶対に!は信念であるのが大事です。信念とは、他の人からの共感を集めていくということです。多くの賛同を得るということではなく、本当に良いものや役に立つものを他の人にも知って欲しいという強い意志のことを言います。その他で、絶対に!という想いは、何かの衝突のきっかけになりますから、その想いや考えを口外する場合は、余程慎重に話す相手を選んでやるか、対立を覚悟してやって下さいませ。また、絶対に!で一番回避を希望したいのは、自分が何か今の状態に不満があったり、自分が何か現状をキープするのが難しくなってきた時に自分の事情でそうなっているのを認めたくない気持ちから生み出される人に対する根拠のない思い込みです。それは最初に絶対にこうに違いないという人に対する疑いをかけ、自分を否定したくないので、その疑いを自分の中で確信に変える必要性に迫られていき、証明を得ようと周囲にも圧力に似た同意を強要します。こうして思い込みは完成し、自分は悪くないという錯覚に陥ってしまいます。

非現実の記憶化

実際にはなかったことを現実のこととして錯覚するというのは自動的に行われることがあります。なぜ、自動的になされるのかというと、現実の行動に移すと害があるものを抑止する為です。受け止めきれない何かに対処しなければならない時に、害のある行為を体験として保存し切り替える為に自己防衛本能が働いて、非現実のことを錯覚して認識して、実際にはなかったことを現実として記憶化します。その記憶により、そういうことをしてしまったと自分を責めながらも、体験としてある種の納得が生まれ次に進めます。非常に差し迫った状態ではありますが、何かを切り抜けたとも言えるので、方向性は少しずつ定まっていきます。

情報の埋没

物事は個人個人により旬が異なります。ですから、旬であるか旬でないかで物事の受け取り方が変わってきます。旬であるものは、まさに自分が求めている待ち望んでいたことなので自然と記憶に残ります。旬でないものは、今あまり必要性を感じないので興味も湧きません。ただ、そこで間違えてはいけないのは、役に立たないと思いダメな情報として処理してしまい二度と取り扱わないと決めてしまわないことです。何かの機会に、再び見ることがあれば、その時には自分の側が受け入れる幅が広がっていて旬の内容になっているかもしれません。執着して全ての情報を溜め込むのは良くないので、必要性を感じなければ、その時はサラッと流していただいて何かそういうことがあったなあという感じにしておくことです。情報を取捨選択するというのは否定していくことではなく、今、必要があるものに集中するということですから。

心理の反映

人は原因と結果ということに関心があり、何かが起きた時その原因は何だったのかが気になるものです。それ自体は何かを検証し次に活かすということで良いことです。ただ、人は短期的な原因や結果に基づいて考えてしまう傾向があります。例えば、ある物を食べた時に体調が悪くなったみたいな場合、その直前に食べた物を良くない物と錯覚してしまうことがあります。体調が悪くなる場合、大抵は長期的な習慣や長期的な疲労・ストレスなどが原因のことが多いです。ですから、短期的な原因と結果だけを見て検証すると次に活かすということも難しくなります。
また、人は誰でも説明出来ないことや経験したことがないことが自分の身に起きると何か原因ということに執着します。例えば、自分が一生懸命に尽くしているにも関わらず家族がまとまりを欠いていて、みんな好き勝手していたり、夫婦仲がうまくいかなかったりすると、その時の心理状態は、自分の何が悪いのかという反省か自己肯定か、そのどちらとも取れるような複雑なものになっています。どこが悪かったのだろうという想いと一生懸命やっている自分は正しく周りが理解がないという想いが常に交錯していて、思考しているようでいて、実は思考は停止しています。そして、原因に執着して行動も停止しています。ここでいう行動とは、何かを改善する為に考えて実践していくということです。自分のちょっとした考え方のベクトルが変わると自分が思ってもいないほど、何かが整い始めます。それだけ自分の思いというのは、自分や自分の周りに反映されているということです。

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