
条件発動
私の占いは、何かを変えたいとあなたが思うならあなたからウェーブを起こさないと絶対に何も変わらないということが土台にあります。
例えば、あなたがご主人さんにもっと優しくなって欲しいと望むならご主人さんを変えようとぜず、あなたがまず変わっていく。
あなたが、ご主人さんの仕事を好ましく思わないのであれば、無理やり転職を勧めるのではなく、あなたがご主人さんに対する向き合い方をまず変える。
あなたが、子供にとり大事な局面で成功を望むなら、あなたは慎重に行動しなければならず、自分のしたいことをしようとするのを自重しないといけません。特に仕事をしている女性は、ネット関連ビジネスは子供に悪影響を及ぼしますので、よくよく気をつけねばならない。
子供が懐かないんですと嘆く前に、自分が家族に心を向けれているかを見直さねばならない。などなど。。
何かを望むなら、望むその人が、行動を始めなければ、何も変わらないということを知って下さい。運命とは、誰の責任とかないので、変えたい人が本当に今の状況を変えたいならやるしかないのです。
主人が頑張れば。。
子供が頑張らないから。。
嫁にその気がないから。。
と本人任せにしてたら、運命は変わらず、ただ、時間だけが過ぎ去っていきます。
変わって欲しいのは、あなたですよね?だとしたら、家族の為にあなたが行動を起こしませんか?
本人がやらないから。。なんて嘆いていても何も変わりませんが、家族に目を向け、自分が出来ることをしていくと、質問なんて毎日でも出てきますし、取り組めば、どんどん変化は起きてきます。
やらない人の特徴は、何か行動を起こす納得できる理由を先にもらおうとする。
家族の為に幸せになる為にというのが理由じゃダメですか?
それ以上の理由を求める行為は、条件を付けて、自分が何とか何もせず、周りがやればよいという発想です。もっと言えば、本人が頑張る話なのに、なんで私がせなアカンねんというように思って動かないのです。動かないから運命は止まって動かないのです。勢いを失ったものは落ちていくしかないのです。
だから先ず、あなたが動きをつけましょう。運命を変えるには、本人が頑張れるように、あなたがまずパワーを送ってあげるしかないですよという話なのです。
理屈は叩き潰す
変な理屈に拘っていると、時間を無駄にします。
あなたはスマホが通信出来る仕組みを全部知って使ってますか?
ドラマや映画がどのように作られたかを全部知って見ますか?
あなたは車の部品一つひとつが出来る過程を全て熟知した上で車に乗っていますか?
そんなことないですね。使いたいから使う、便利だから使う、楽しいからそうする。ただ、それだけのはずです。
では、幸せになる道は、こうですよと言われたら、とりあえずそれを楽しみながらやってみませんか?
なんでそれをやらないといけないのか?
なんで自分がしないといけないのか?
それを全て、先に私があなたに証明しないと動けませんか?
全てのことを説明している間に時だけが過ぎ、あなたの人生終わってしまいますよ。
だから、私は理屈をこねる人の理屈は潰します。
潰している間は、あなたにはまだ可能性があるということです。
潰すということは、あなたも潰されても潰されても私に質問しているということなので変わりたいはずです。どうか、早く気付いて下さい。動いたら全て変わるんです。あなたの求めるものが手に入るんです。
せっかく質問するのですから、行動を。
寄り添い願望で振り回される家族
私の占いは、システム化された統計学的な占いではありません。また、心理学を用いて人の行動心理を説明するものでもありません。霊視のように自分の脳内のイメージを解読してお伝えするものでもありません。いわゆる五感を研ぎ澄まし、感覚で物事を判断しています。
感覚で物事を判断するので、言葉や文字に乗っている良さや悪さ、正しいか正しくないか、そういったものには凄く敏感です。
本当に頑張っている方からは、自然と受け取るものが心地よくなります。
自分のことを中心に考えている方からは、あまり心地よい感覚がありません。
これは、私の占いの手法ではありますが、五感というのは誰でも働いてはいるもので、私のように明確性はなくても、皆さん、なんとなく、この人といると居心地が悪いとか、今日のこの人の話の内容は響かず入ってこないとかあると思います。逆に、この人といると、とても気分が良くなるとか元気をもらえるとかもあります。
それを家族で考えると、身近な存在だけに、もっと色々と感じれると思います。今日は機嫌が良い・悪いとか、なんか肌つやがよく楽しそうだとか。
そういう所に、質問を作るヒントがあります。
なんか、今日遊びに行ってから元気がないなあと思い話を聞いたら、実は。。
それに対して自分が元気にしてあげられることはないかなあと思えば、それが質問になりますね。
大事なのは、そういう感覚で自分が周りの家族をおもんばかることです。
例えば、あなたが夫に愛して欲しいとか、子供にはこうして欲しいなんてことを強烈に思っていて、それを相手におもんばかられたら、夫も子供も非常に窮屈で、常にあなたに気を遣い、あなたが機嫌を損ねないように気を付ける日々となります。
自分が自分がという人は、気をつけないと、家族が自分に寄り添うことを強制しています。そういう雰囲気を漂わせているから、常にあなたの気分次第の家になります。そういう家は、家族が怪我や病気が絶えません。
質問とは、家族をおもんばかれば、日常、いくらでも出てくると思います。そこにあなたが幸せになるきっかがたくさん出てきます。
確固たる証明を求める
自分が思っている事と違うことが起きてくると、人は説明や証明を求めようとします。
それは、対決姿勢ですね。
世の中は、そういう対決に満ち溢れています。
証明しろ!
説明しろ!
そういう声で溢れています。
それは必要に迫られてそうしているのでしょう。
しかし、あなたがその声を家庭であげたらどうなるでしょう。
父親と対決し、母親といがみあい、兄弟姉妹も信じられなくなりますね。
家庭は理屈の世界観では成立しえないものです。こうしたらこうなるみないな法則はないのです。
愛というのは定義出来るものじゃない。だから、証明とか理屈とかに拘ると、愛を失います。
愛を大切な人に伝えていくというのは、本当に難しい。愛とは積み重なることで、はじめてぼんやりと掴めるものだから。。
だからこそ、些細な日常の中で、家族をみつめ自分が何か役立てることはないかなあと常に考えていく。
それが幸せに繋がる質問の作り方です。