呪いとは
他者を責める

運とは、自分の何かを見つめて変えていくことで良くなっていきます。他人の何かを見つめて変われ、変われと、思っていると、それはやがて念となり、頑なに何かを拒否していると、ついには怨(オン)となり、呪いの完成をみます。私たちは誰でも、他人のやることは冷静に否定し、自分とは違うことに共感しにくいものです。ですが、通常は、自分も相手も、はっきり言うと正しい生き方はしていません。それは、私もまた然りです。

だからこそ、他人を責めるのではなく、自分を見つめることに気持ちをもっていかないといけません。相手が悪く見えても、それは重要ではありません。家族であれば、ほとんどの場合、そこに悪が存在していません。稀に存在していますが、その場合、相手を否定することが、そもそも自分が出来ない状態にありますから、相手を否定しているということは、ほぼ悪ではありません。

他人に変化を求めると、必ず事態は停滞します。なぜなら、他人に変化を求めるのは、自分が間違っていないという大前提がありますので、相手は受け入れがたいからです。こういった時の衝突のエネルギーは弱者に向かいますので、小さいお子さんなどがいれば何らかの現象が必ず起きます。

理由を求めすぎる

全ての事象には何らかの理由がありますから、私はそれらに答えることは出来ます。しかしながら、時に意味はないですとか時には言わない方が良いのでお伝えしませんということがあります。この理由は、シンプルです。

それは、行動する理由になるならお伝えし、行動しない理由になるならお伝えしないということです。

そもそも、何かをやるのに、理由に拘りすぎるのは、その時点で、自分の意見を通そうというものが見え隠れしています。何かをあわよくば免れようとか、自分に何か有利に働くような問いかけは、私には特に問題ありませんが、日常でそれをやると、カビが生えやすくなります。それが進行すると、自分が利用出来ている相手に対して生霊となり、剝がれにくく、へばりつきます。これも呪いの完成をみます。

面倒くさがる

ひと(家族)に求められているのに、面倒くさがって動かないでいると、本能が理性を上回っていきます。人が人である唯一の理由は、理性で感情をコントロール出来るところにあります。本能が理性を上回ると、感情の赴くままに行動することとなり、非常に攻撃的になります。

攻撃的というのは、否定というものを越えているので、その攻撃を向けられた相手は病気になります。病気というのは、行動できない状態に陥れられるということを意味します。

これは、相手にこういうことが出来る状態にあるというのは、その存在が悪であるということです。悪ですから、攻撃により呪いを他人にかけるという行動に及びます。しかも、それをどこかで楽しんでいる怖い状態です。

過去のイメージで評価しつづけている

本来、人が人を評価するということは、避けなければならないことです。評価するには基準があり、ほとんどの場合、個人的主観で間違ったものだからです。社会の中では、個人と個人の戦いという側面もあるので、やむを得ないのですが、家庭で評価はしてはなりません。

家庭での評価は、家族に序列を構成してしまいます。それは、強いものが全てという世界観です。ですから、一旦、序列のトップに立つと、マイナスの評価を家族に与え続けることになります。それは、成長して変化してきていても過去の評価で変えません。

家族を見るとき、常に変化に敏感でなければ、喜びも楽しみもありません。評価してしまうと、家族の幸せは消えていきます。

評価は、家族の個性に封印をかけ、異常な行動を引き起こします。これも呪いの完成です。

解除は出来ない

呪いとは、このように自分の思考の仕方や行動次第で、発動してしまいます。そうなると、もう解除は出来ません。そこには専門家の介在が必要になります。

ちょっとした日頃の考え方の積み重ねが、気付いた時には手遅れになるものです。

この記事を書いた人

堺市北区の中百舌鳥にて占い師をしています。

このブログでは、運命改善に役立つ考え方を書いています。日常どのように考え過ごすと良いかという疑問に答えたく、みなさんが少しでも不安を取り除き、また、自分を見直すヒントとなりますようにスピリチュアルという不可思議な世界観を嚙み砕き、わかりやすく説明しています。占いは、当てものではございません。みなさんが自分で答えを見つけていく、そのヒントをお伝えするものです。このブログから、みなさんが開運するきっかけを見つけられることを願います。