膠着状態を動かすのは?
戦闘状態解除

自分の思うように物事が進まないなんて思う時は、まず、物事が自分の思い通りになるという事実は誰にも当てはまらないということを知っておかないといけません。

人間は単独では生きられないようにプログラムされています。

それは誰しも、人との関わりの中でしか自分を見出せないということです。

人が集まれば、そこにそれぞれの意思が集まります。

意思は、統一することは不可能です。なぜなら、それは流動的でつかみどころのないものだからです。

他人はなおのこと、家族であっても、なかなかまとまりを持ってひとつの方向に向かうというのは至難の業です。

組織であれば、従属させ強制させれます。

家族は、意思を認め合い、譲歩し合うことで、つかみどころのないものをしっかりとつかめるものに変えていくことができます。

この時、邪魔になるのが、自分の心に潜んでいる決めつけです。

うちの夫(嫁)はこんな。。。云々

長男は良いけど次男は。。ねえ

お父さんは私に厳しい。。云々

お母さんはいつも他の兄弟姉妹にだけ。。ねえ

などなど。。

大体は、何かのきっかけでそう思い込んでいるだけです。今は変わっていることがほとんどです。しかし、自分だけが頑なに想いを変えれずにいる。。

こういう時、人は戦闘態勢に入っています。

このスイッチが入っていると、まあ、ややこしいです。

なぜなら、相手にだけ変わることを求めているからです。

仮に相手に否があったとしても、運命を変えたいなら、自分も変わらなければなりません。いや、自分が変わることで家族の問題は、ほとんど解決するということを知るべきです。

責任追及放棄

占いにて、物事の起きた原因を聞かれることがありますが、それは、あくまで、こうしたら良い方向に切り替わりますということをお伝えするだけです。

その過程において、こういう部分が悪かったですねとお伝えすることがあります。しかし、それはあなたを責めているわけではありません。

私は、決してあなたが悪いからこうなったということが言いたいのではなく、その悪かった部分を見直してみませんか?また、あなたは変われるんだから変わりませんか?という提起をしているにすぎません。

なぜ、責任追及というお話をしたかというと、あなたが家族に想いを伝える時、私があなたにお伝えしている時と同様に、責任を追及する気持ちはないのが理想だからです。

私のやっていることを家族にわかって欲しいとか単純に私の気持ちを知って共有して欲しいなどという時、どこかであなたは、自分は悪くないというのがあります。その気持ちをぶつけられた相手は、責任を問われている状態になる為、とても話がまとまる状態ではなくなります。

相手に想いを伝えるとは、本人のことを考えて、より良い方向性を一緒に考えましょうということです。

家族に向き合う時は、責任追及してはなりません。事態が膠着します。

損得勘定持ち込み禁止

家事や育児など何かを平等に分担するということが世間では言われます。ですが、その本当の意味することは、作業を平等に分けるということではありません。それぞれの役割をきちんと果たしていくということが出来ているかを見るべきです。

平等に分けようととすれば、例えば、子供はお母さんを求めていても、今の時間はお父さんの番だからと、お父さんが子供の相手をすることになります。

これは育児とは誰の声に耳を傾けるべきかということが忘れられています。

そして、

単に平等にと考えていると、人は段々と損得勘定に駆られてきます。私はこれだけしたから、あとは知らないとか。

仕事であれば、そういう線引きはあっても良いですが、これ、育児や家事で出たら大変な問題を引き起こします。損得勘定に人の心はありません。損切りするのですから。。

何かを分担するとは、お互いの気持ちを知り、自分の出来ることを協力していくということです。量を均等にすることではありません。

問題になるのは、実は量の問題ではなくて、相手の気持ちに近づこうとしているかいないかです。その気持ちを無視して、量だけ平等にしても、実はお互いに余計にしんどくなるのです。

解決案削除

誰しも意識的に取り組まなければ、怠惰になります。怠惰とは、この場合、自分の意に沿わないものは受け入れないということです。

多くの場合、何か物事を進展させ解決に向かう時は、自分の範疇を超えて物事を大きく広く捉えることが出来るようになった時です。

自分の範疇を超えるには、何かに向き合うということが必須です。しかし、向き合うというのは、自分が変わるということを意味します。みんな自分は変わりたくないので、なかなか何かに向き合うということが出来ません。

こうすれば良くなるとお伝えすると、多くの方は、それで変わる理由を知りたいと言います。理由は大事ではあります。ここで真に変わりたい人は、その理由に納得して行動し始めます。自分が変わりたくない人は、どこかで、理由にこちらが詰まるだろうと思って聞いています。それは、何かの事態が良くなるにはこうして下さいとお伝えする時、その何かの事態と直接関係ないように見える事柄をやってくださいとアドバイスするからです。その繋がりを説明できないだろうと思っているのですね。ですが、繋がりはあるので、説明が成立し、受け入れるしかなくなります。

これは、何が言いたいかというと、変化というものがすぐ起きてくる方は、最初の段階で、自分が変わりたいというのがあり、なかなか変化が起きない人は、最初の段階で自分は変わらずに出来る解決策を求めています。

しかも、その解決策も自分が行動するものではなく、自分以外の誰かがやってくれる案を望んでいます。そして、人がやってくれる案であるのにも関わらず自分の意に沿わない案は絶対に受け入れないので、物事が進展するはずもありません。

解決案などはないのです。あなたが変わる意識を持つ中で、なんとなく状況が整ってきて、なんとなく良い方向に向かっていく、そして気付いたら物事が解決していたというのが事実なのです。

対抗意識は全てを停止する

何か問題と感じることがあると、人は、それを本人に伝えて行動を変えさせようと試みます。これは杭を打つ行為です。

ですが、これは誰かの行動に反応して、自分が対抗している意識でやる限り、全て失敗します。

杭を打つならば、効果的にかつ適切に打たねばなりません。

そもそも、あなたが誰かの行動を問題行動とするならば、それは自分とは全く違う価値観や思考もしくは異常状態に相手があるということです。

対抗意識とは、自分の価値観・常識で相手を納得させられるはずだという傲慢です。

価値観や常識が違うから、あなたが相手の行動に違和感を覚えるのであり、異常性を持っていたとすれば、それはもはやすべての常識というものは相手に存在していませんから、あなたの意図が通じるはずもありません。それでも、あなたは自分の価値観・常識で対抗しようとしますか?

そして、対抗意識をもってして反応してしまったものは、とてつもない反撃を食らいます。

本来、杭を打つとは、あなたが感じる問題とは別の視点からの問題に気付き、そこに杭を打たねばなりません。

杭を打つ場所は、実は自分の為になる何かに打ちます。そうすると、何かに対抗しているようでいて、自分の為になっているので、そこには対抗意識は存在せず、あるのは、ああ、なんか腹立ったけど、結果的に良かったなあ、必要やったわという結果オーライの世界です。

問題とは、いかなる場合も、自分以外に意識を向けても何も変わらず、自分に意識を向けたら、簡単に解決するものです。まあ、それが果てしなく難しいのですが。。

この記事を書いた人

堺市北区の中百舌鳥にて占い師をしています。

このブログでは、運命改善に役立つ考え方を書いています。日常どのように考え過ごすと良いかという疑問に答えたく、みなさんが少しでも不安を取り除き、また、自分を見直すヒントとなりますようにスピリチュアルという不可思議な世界観を嚙み砕き、わかりやすく説明しています。占いは、当てものではございません。みなさんが自分で答えを見つけていく、そのヒントをお伝えするものです。このブログから、みなさんが開運するきっかけを見つけられることを願います。