私がスピリチュアル的表現をしない理由
知識が投影されてしまう

私が占いにおいて一貫してお伝えするのは、家族愛、生き方、考え方です。スピリチュアル的な表現は、ほとんどしません。それは、なぜかと言うと。。

そんなものは運命を変えるのに何の役にも立たないからです。

余計な知識は、マイナスのイメージと結びついた場合、非常にマイナスの事態を引き起こします。そんな知識がなければ、イメージ出来ませんせんから、何も起きてきません。

私も、占いを通して霊の話をしたりすることはあります。ですが、それは、全て、現実世界において、あなたがどう生きるべきかを示すものに過ぎません。不思議な世界観を作る必要は、運命を変えるのに非常に邪魔になるので一切ありません。

運命を変えるのに、みなさんが力を注ぐのは、自分を周りの家族や大切な人との関わりで見直していく、その一点のみです。

マイナスな事態が起きた時に結びついてしまう

スピリチュアルにおけるマイナスの表現は、人の不安に深く染み入ります。本来、スピリチュアル的な知識は、スピリチュアル的耐性のある者にだけ周知されていれば良いことです。スピリチュアル耐性とは、ひと言でいうと忍耐力です。どんな過酷な状況におかれてもその忍耐力により、不安がマイナスイメージと結びつくことのない者です。これつまり、いかなる霊の干渉も受けない、引きずり込まれないということです。これは、鍛えることの出来ない性質です。

そういう性質があるから、スピリチュアルを担うことが出来るということです。そういうことを担っていると、つい、不可思議な世界を語りたくなるものですが、我々が語るべきは、人が良い方向にいくようにサポートする内容です。不安に結びつく内容を決して語るべきではありません。

知識として、その人の中に深くおちたスピリチュアルのマイナス側面は、払拭するのが非常に大変です。運命を変えるのは知識や理屈ではありません。スピリチュアル表現は、あくまで、人を奮起させたり、危機を回避する時など、必要最小限にすべき内容です。スピリチュアルのマイナス側面は、ほとんどの場合、人の次元を下げて、わざわざ人の感覚を狂わせて見えなくてよいものを見せたり、聞かなくてよいものを聞かせたりします。

間違ったという意識を深めてしまう

感覚が狂うと、人の本性が丸出しになります。そこには二つの性質しかありません。

人を攻撃し利用することのみを考えて生きるという性質。

上記の性質の者により自分を責めるように導かれ、その者に従属もしくは心の破綻をきたす。

この2面がいったりきたりする場合もあります。それは、他人には後者の面で対応し、家族には前者で対応するという場合です。

問題は、前者の場合、人を不幸に陥れる不安にさせることが悪いという感覚が欠如してきますので、周囲の弱い立場の方を探しては攻撃するということを繰り返します。理由は特になく、快楽があるわけでもありません。ただ、自分が損をするのが嫌だという強い衝動に動かされます。

後者の場合、責任感が強いか心根が優しい為に、自分を責めるように追い込まれ、正常な判断能力を奪われていきます。正しい判断が出来なくなっていますので、何をするのにも良くない選択をすることになります。それを繰り返していくので、自分を肯定しにくくなっていきます。

変にスピリチュアル的にこういう時にはこういう現象が起きるなどということを知っていると、こういうことを招く原因となるので注意しなければなりません。

良い事象と結びついていなければならない

こういう時に何かが見えるとか、こういう時に何かが聞こえるとか、基本的にスピリチュアルに興味のある人は、全てをマイナスな事と結びつけています。また、どこかに行くと何か神秘的なものを感じるとかも気を付けないと、その背景に本来は自分が気付くべき改めるべきことがあるという意識が欠如していると、自分は特別に何かが見えるとか少し違う方向にいってしまっています。

スピリチュアルの根底にあるものは、自分の身に起こることから、自分が変わっていくきっかけをつかむということにあります。マイナスのような事態であれ、プラスの事態であれ、それを自分がどう捉え、考えて行動していくか。そのような意識状態の時、運命は良い方向に導かれていきます。

スピリチュアル的なことから良くない事象が起きてくることは本来はないのです。

やり方ではなく方向性こそが大事

スピリチュアルには法則性はありません。こうすればこうなる的なことは一切ありません。目の前の一つ一つのことに対処していく、そこには確かに理由があり、行動するきっかけとしては存在します。

しかし、一見すると、バラバラの全く異なるように見える事柄が、実は、何らかの方向性は持っていたりします。

スピリチュアルは、その方向性を暗示するだけです。

暗示するとは、それに気付いてくださいということではありません。

継続して取り組んでいると、気付くと良い状態に導かれていますよということです。

答えを知ろうと頑張っても答えは導き出せません。

人の人生は、方程式で成り立つものではないからです。

日々、些細な一つ一つに心をくだき、自分が出来ることに向かっていく、そうして自分の意識が変わった時、あなたの目の前に広がる世界は、変わっていくのです。

この記事を書いた人

堺市北区の中百舌鳥にて占い師をしています。

このブログでは、運命改善に役立つ考え方を書いています。日常どのように考え過ごすと良いかという疑問に答えたく、みなさんが少しでも不安を取り除き、また、自分を見直すヒントとなりますようにスピリチュアルという不可思議な世界観を嚙み砕き、わかりやすく説明しています。占いは、当てものではございません。みなさんが自分で答えを見つけていく、そのヒントをお伝えするものです。このブログから、みなさんが開運するきっかけを見つけられることを願います。